里内は平和だ。
何故なら任務の依頼先は大部分が里外だからだ。
里内では血生臭い事はほとんど起こらない。
里の中では忍も一般人も特に一線引かれる事もなく同じ生活圏で生活をしている。
幼少の頃は自分もこの平和な里で暮らしていたはずだが、子供の頃の思い出はこの里内のものよりも断然戦場での事の方が多い。
だから数年振りに、多分中忍にあがって以来だから20年ぶりにこの里に戻った時には、帰ってきたというよりも真新しい土地にこれから暮らすという感覚だった。
そして、自分が今まで暮らしてきた世界と、目の前に広がる世界との絶望的なまでの隔たり。
日の光の中はカカシには眩しすぎた。
今までの自分の世界には敵か味方か。二種類の人間しかいなかった。
しかし里内において忍同士ではさすがに階級を飛び越えて交流を深める事は稀だったが、一般人達は里を守る忍達に対してひどく友好的だった。
素顔をほとんど隠した怪しい風体をした自分にさえ、ふらりと食事をしに店に入れば店の主人が気軽に声をかける。
敵か味方か、そのカカシの中の単純でシンプルな区分けは崩れた。
能面のように無表情だったカカシを取り巻く人間達が突然に表情を持った。
当たり前だが、人には感情があるのだ。
毎日喜び、悲しみ、そしてそれを周りに分かち合う人々がいて、その輪は繋がっていく。
その分かち合う相手は、家族であり、恋人であり、友人であり。
例えば、目の前に立つ人間は誰かの子供であり、誰かの夫であり、誰かの父親であり、誰かの友人なのだ。
気付かなければ良かった。
気付かなければこれからも躊躇う事なく人の命を奪えただろうに。
もう何人の人生を奪ってきたのか、思い出すこともできない。
鬼のような所業を繰り返してきた自分だが、人の暖かさに一度触れてしまうとそれを手放す事が辛く思えた。
初めて受け持つ部下たちは、自分を真っ直ぐに慕ってくれる。
受付所では、そこで立ち働く忍達が気さくに労いの言葉を掛けてくれる。
暗部の仕事は通常受付所を通される事は無く、その事もカカシには新鮮な驚きだった。
忍にも二つの世界がある。
表と裏の。
表の世界に生きる忍達はカカシに屈託なく接してくれる。
しかし、それは裏のカカシの顔を知らないからだ。
冷酷に大人子供関係なく命じられるままに命を奪う暗部の仕事は定期的にカカシの元に舞い込む。
暗殺の仕事は指名制で、成功率の高いカカシの指名が途切れる事はない。
自分の身体は里のもの。
里から任務の指示があればカカシに拒否権はない。
表の世界で人にはそれぞれの人生があり生活があるのだとまざまざと見せ付けられながら、裏の世界でカカシは誰かの恋人であり、子供であり、親である標的を手にかける。
忍として生きるからには、任務遂行が全てだ。
自分がしてきた事を悔やんではいない。
ただ、自分は人の暖かさを受け取る資格があるのだろうか。
その疑問は真綿で首を締めるようにじわじわとカカシを苦しめ始めた。
これほど凄惨な任務に手を染める自分を、今までと変わらずに周りは受け入れてくれるのだろうか。
拒絶される事を考えると言い様も無い寂寥感に襲われる。
そんな時、偶然、任務の帰りに不注意で自分の身体に傷を負った。
自らがつけた傷口から伝う鮮血を眺めているうちに、カカシは不思議と心が軽くなるのを感じた。
クナイの切っ先で更に傷口を広げ片手を肘から下全部真っ赤に染めた。
自分も奪った命の数だけ傷を負って血を流す。
償いの代わりにもならないだろう。
自傷は結局はカカシの自己満足に他ならない。
それでも、カカシにはその儀式が必要なのだ。
この世から自らの手で消し去った人々に祈りを捧げて、赦しを請い、そしてようやくカカシは表の世界に戻る資格を手に入れる。







「無用心ですね」
何故この男はまた自分の前に現れたのだろう。
でも今日は屋外の演習場などではなく、自分の部屋までたどり着いたはずだ。
部下達と共に終えたDランク任務の報告を終えて入れ違いに暗部の式がやってきた。
いつも通りの、救いようの無い殺しの任務だった。
「なんで・・」
何故イルカが此処に居るのだろう。
「鍵が開いていました」
イルカは問われた意味を取り違えていた。
「手当てをしてもいいですか」
カカシは仰向けに横たわりながら力なく首を振る。
カカシの二の腕の内側、脹脛の二箇所がスパリと切り裂かれていて其処から血があとからあとから溢れてくる。
「子供達には絶対に気付かれないで下さいね」
ため息混じりのイルカの言葉にカカシは苦しげに笑った。
「・・・それは、だいじょうぶ」
自分の様子がおかしければ、子供達が心配する。
自分の部下達の事が気がかりでイルカはカカシを訪ねたのだろう。
でなければイルカが此処にいる理由が無い。
「だいじょうぶだから・・・もう、帰って」
貧血がひどくて、視界が狭まってきた。
傍らに膝をついていたイルカが立ち上がった気配がする。
そうだ。この男は自分には全く干渉しない。
面倒が無くて良い事だ。
それからすぐ、いつもの地中に引きずり込まれるような感覚にカカシは身を委ねた。




翌朝、全身が瞬時に熱を持つほどの怒りにカカシは襲われた。
固い床の上で目が覚めるとカカシの手足の傷にはしっかりと包帯が巻かれ、手当てが施されていた。



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